ナチスドイツのユダヤ人虐殺を否定する男アーヴィングが、自分を批判した女性歴史学者リップシュタットを訴えた実話にもとづく。無料配信を字幕と吹替で二週間。
1996年におこなわれた名誉棄損裁判を、イギリスの公共放送BBCが2016年に映像化。
名誉棄損訴訟では珍しく、イギリスは訴えられた側が自己の正しさを証明しなければならない。アーヴィングがイギリス人ということもあるが、アメリカ人のリップシュタットは不利な立場で異国の被告席に立つ。
ユダヤ人虐殺、いわゆるホロコーストが史実ということは前提で映画が進行し、言いがかりを正面から受けとめることは無益だと語られる。すでにつくされた議論を最初からやりなおして相手に負担をかけ、完全な嘘を半信半疑にまでもちこむ詭弁だ、と。
事実として当初のアーヴィングはそれらしい理屈をのべるし、自身の膨大な日記をリップシュタットの弁護士にすべて開示するが、裁判では閉廷時間にあわせて嘘を断言して反論をふせいでマスコミの心証を操作する。
アーヴィングは収容所から検出された青酸ガスが死体のシラミを殺すためだと無根拠に断言。しかしすぐ焼却する死体をなぜ消毒する必要があるのかと指摘され再反論できない。
やがて仲間内の会合で差別発言していることがつきつけられるが、ただのジョークだとして差別主義者ではないと自称する。批判されて「ネタ」だと逃げる姿は日本でもよく見る光景だ。アーヴィングは自身が差別主義者ではない証明として多様な人種の部下をつかっていると語るが、そこで部下を賞賛するために性的な魅力をもちだす。本当の差別主義者は基準がおかしいため、自分が何を言っているのか理解できないのだ。
一方、リップシュタット側の裁判チームにも微妙な温度差はある。
最終的に誤解はとけるが、犠牲者の尊厳を無視するような弁護士の方針にリップシュタットは傷ついていく。
さらに日本と比べて興味深いのが、若い助手の男が、ユダヤ人が被害を訴えつづけることがおかしいと主張する場面だ。
この助手の言葉は直後のアーヴィングの言葉と何も変わらないし、もちろん助手の女性にたしなめられる。
ホロコーストの犠牲者も、ヒロシマナガサキの被爆者や、日本軍の慰安婦らと同じように見られていたことがわかる。
被害をうったえつづけること自体が不当と評されて良いわけがない。歴史を記憶するためにもいつまでも語りつづける意味があるのだ。
なお、アウシュビッツの調査とホロコーストの犠牲を中盤に描く構成は、やや映画の入りこみにくさを生んでいたと思う。歴史が軽視されていることを描くためとは理解するが。
しかしその中盤以降、実際に裁判がはじまってからは、緊張感ある法廷サスペンスとして娯楽的にもよくできている。見て損はない良作だ。