『ロッキー』シリーズのスピンアウト作品『グリード チャンプを継ぐ男』に抜擢されたクーグラー監督の長編デビュー作。2009年に起きた黒人射殺事件にもとづき、2013年に映画化された。
1時間半に満たない短い作品で、おそらく低予算だと思われるが、しっかり映画として完成されている。ただの再現ドラマとたかをくくっていると予想をくつがえされる。
説明的な台詞にたよらず状況を描いていく演出も教科書的によくできているし、現代的な家族のつながりをケータイのメールで演出する手法もしゃれている。
星3つほどと点数が低いのは、CMの多さを批判するレビューが星1つつけているため。レビューの内容は全体として高い。
冒頭で実際の映像が紹介される主人公を、この映画は聖人君子としては描かない。
遅刻で仕事は辞めさせられ、不倫した過去をもち、2年前には刑務所に入っていて、今も売るためのヤクを隠しもっている。
同時に、それでも妻と娘のために立ち直ろうともしている。心底の悪人ではなく、家族の誕生日を祝うために、愚かなりに心をくだいていく。ぎりぎりで踏みとどまろうとする彼を、周囲の人々も支えようとする。
そうしたドラマの背景として映し出されるのは、おだやかなサンフランシスコの街並み。人種差別が皆無というわけではなく、バースデーカード等で小さな分断も描かれるが、スーパーマーケットでは黒人と白人がなごやかに会話する。
まるでホームビデオのように、その罪もいさかいもふくめて、暖かい社会が撮影されていく。
もちろん、これは真面目なだけの辛気臭い映画ではけしてない。
ふたたび主人公が道をふみはずしそうになるサスペンス感や、つらい生活をなんとか乗りきるコメディ感などで、素直にエンターテイメントしている。
主人公が駅に行って騒動に巻きこまれたのも、家族のアドバイスにしたがって、飲酒運転ではなく電車での移動を選んだ結果だった。その目的も、新年の街を上げた祝いを楽しむためだった。だから警察に対しても無抵抗をつらぬいた。
たちなおる人、たいせつな家、やさしい街……それらをじっくり描いたからこそ、警察が台無しにしてしまったことへの哀しみと怒りが、素直に呼びおこされる。
難民全てを逮捕して収容したり、武装難民であれば射殺を検討するという麻生副総理の発言が注目されている。
そんな今の日本だからこそ、遠い他人事ではない事件として、あらためて見ておきたい映画だ。