2013年の米国映画。近未来SFでは珍しく、アカデミー賞で脚本部門を受賞。字幕のみの配信が約1ヶ月。
幼馴染だった妻と離婚したセオドアは、愛のない生活をおくりながら、愛を書き記す代筆屋の仕事をしていた。
そんなセオドアは最新AIのサマンサを入手して、人間らしい会話をとりもどす。サマンサはゲームでつまったセオドアにアドバイスを送り、セオドアが美女とデートすれば嫉妬する……
ホアキン・フェニックス主演の、近未来SF。人工知能の声を担当したスカーレット・ヨハンソンは最後まで姿を見せない。
『かいじゅうたちのいるところ』でアナログ特撮を現代的に活用したスパイク・ジョーンズ監督だが、今作ではさらにVFXが少ない。上海でロケ撮影し、SFらしい小道具は立体的に投影されるゲームや、誰もがイヤホンで人工知能の声を聴いている光景くらい。
米国なら『アウターリミッツ』、日本でいうなら『世にも奇妙な物語』くらいの規模感のドラマが静かにつづいていく。
声だけで関係性をつくりだすのかと思えば、人間の女性を代理母ならぬ代理女体としてサマンサと疑似セックスしたりと、SFらしく下世話なアイデアも意外と多い。
セオドアとサマンサの関係が、対等に見えて決定的に非対称だと判明する真相もよくできている*1。
同時にこれらのSF描写は、マイノリティとの恋愛や、ゲームキャラクターとの疑似恋愛にも似ている。現実ではありえない体験をSFとして見せつつ、現実の一部を発展させた寓話として楽しむこともできる。
けっこう保守的なアカデミー賞で評価されてもおかしくないと思えるSFだった。けっして悪い意味ではなく。