スーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズ、ウルトラシリーズなど制作会社を超えて特撮ドラマで活躍した上原正三氏が亡くなられた。
代表作のひとつが『帰ってきたウルトラマン』。
『ウルトラマン』のシリーズ3作目にして、ハードなドラマ作りが評判だった。上原氏は、第1話から第7話まで連続して脚本を担当し、以降もローテーションで参加した。
なかでも差別を批判した寓話として高く評価されている第33話が、円谷公式で特別無料配信されている。沖縄戦を体験*1した作家ならではの作品だと、今でもたびたび話題になる傑作だ。
特撮リソースが不足しがちな後半放送でありながら、ありったけのミニチュアをならべた広いセットで1カットの怪獣戦を描写したりと、参加したスタッフが全力をつくしたエピソードだ。
もちろん、同シリーズでも初代『ゴジラ』の本多猪四郎監督と組んだスケール感満点の第1話と第2話をおくりだせたように、差別批判にとどまらない幅の広い作家であった。
それでも脚本家の會川昇氏が述懐しているように、幅の広い作品を手がける能力があった作家が、独立した1エピソードでマイルストーンとなる作品を残せたのは、やはり凄まじい偉業であったことは間違いない。
怪獣使いと少年、だけで帰りマンを語られちゃうことへの、そうじゃないんだよな感は、上原さんの最初の脚本集を編ませていただくとき私の中にもあって、それは確か本の中にも書いたはず。その後、自分の本の題にサブタイそのまま引用しちゃう人がいたりして、いろんなフイルターがかかったのは事実
— 會川 昇 (@nishi_ogi) 2020年1月9日
でもね、私が脚本集に携わったのは20か21歳の頃。その歳ならともかく、いまになると、だった一作でもサブタイトルで記憶される作品を書き残せたってのは凄いことだと実感。だから上原先生も後年は積極的にあの作品について語られていた。
— 會川 昇 (@nishi_ogi) 2020年1月9日
今日はあなたが好きな上原作品について語れば、いいのでは